Cord Blood

母親と子は臍の緒を通じて一つの生であった。それだけ強い繋がりがあったはずなのに。

役割に対する利己主義者の主張

日本の社会生活には、役割と責任というものが存在する。
その人がやるべき仕事というのが役割であり、
それに対する結果を負うことが責任である。

とくに人格に問題が無い人は、自分の負っている役割や責任を
果たすのが当然だという意識が働く。
だが、この役割を放棄もしくは回避しようとする人がいる。

もし、自分よりも役割の重さの小さい人が
その役割をこなしているのであれば、
その役割を自分がやるようにするのが当然であり、
それが責任感というものだろう。
しかし、ここで利己主義者という人たちは、
それがさも他の人がやるのが当然だという主張をするのである。

利己主義者とは、「社会や他人のことを考えず」、
「自分の利益や快楽だけを追求」し、「他人の迷惑を考えず」
「わがまま勝手に振る舞う」人たちのことである。
要は自己中のことだ。

会社にこの利己主義者がいると、周りの人たちは非常に不愉快な思いをする。
なぜならば、会社で仕事をするということは、
ほぼ例外無くチームでやるからだ。
仕事というものは個人だけで終わるものではない。
チームで協力し、自分にできないものは人に頼んだりしながら、
柔軟に進めていくのが会社というものだ。

だが利己主義者は、自分の仕事はここまでであり、
自分の仕事を終わらせることだけに執着するのだ。
チーム内であろうが、他の人の仕事が終わっていないのは、
その人だけの責任であり、自分には一切関係がないという
主張に終始し、利己だけを追求する。

現在の日本は、アメリカ的経済を真似ようとしているのだから、
この利己主義者が跋扈するのは当然である。
そして、今後ますます利己主義者が増えていくだろう。

だが、利己主義者には最大の弱点が存在することを
知っておいた方がよいだろう。
それは「人の意見を柔軟に解釈するということができない」ことだ。
言い換えれば、「行間を読む力が極めて弱い」ということである。
「人がなぜその発言をしたのかを読み取る力が弱い」のだ。
自分だけを中心に物事を考え、自分の主張が正義である
ということに執着しているのだから、
このような弱点が存在するのは無理もないだろう。
人から否定されれば、何が何でも自分の主張を通そうとする。
また、自分に対する些細なことでも無視することができない。
少しでも攻撃されたと感じると、これでもかと反撃してくる。
こういう人に向かって「気にするな」と言っても無駄で、
自分が優位な位置になるまで攻撃することをやめない。

世の中に、利己主義者が溢れかえるのも時間の問題だ。
だが、そんな利己主義者が増えていけば、
国というものは存在しなくなるだろう。
なぜならば、税金というのは他人を支えるためにあるし、
軍隊というのは、国の人を命をかけて守ることだし、
選挙は国をよくする人を選ぶことだからだ。

戦後の日本は、先の戦争を完全に否定して出発しているのだから、
ある意味では利己主義者を養成することに力を注いでいたのである。
国のためにすることを否定し、自分だけを見ていれば
国家主導ということにはならないだろうど。
つまり、利己主義者というのは、GHQの占領政策に
まんまと洗脳され、そのまま生きてきてしまった人なのである。

そもそも国が無くなればよいというのであれば、
今すぐにでも国の無いどこかに行くべきだろう。
税金による恩恵を受けるのは恥ずべきことではないのか?
たとえ会社であれ、
選挙に行かない奴が選挙に行っている人に
モノを言う資格は存在しないのだ。

自己とは他者がいるから認識できる、
存在できるのだということが、
この人たちには理解できないのであろう。
よって利己主義者というのは、
もはや意識の無い、人以外の動物であると言わざるを得ない。
そんな人間以外の動物の言うことを聞く必要は一切無い。

現実ばかりに囚われ、真実を見ることが出来ない。
この人たちに必要なことは、現実ばかりを見るのではなく、
世の中の原理をきちんとした眼でみることである。