論理的思考とユーモア
休み時間や雑談時でさえ論理的思考を求めたり、
正確な物言いを求める人がいる。
何故こういう人は多少の間違いを許す事が出来ないのであろうか。
そこにはどんな心理が働いているのか。
まずこの手の人間は目的無しには話をする事ができない。
普通の人がする雑談のように、
ストレスを発散しながら話をするという行為が極めて苦手なのである。
この人が雑談をするときはまず、話す為の目的を決めなければならない。
そしてその目的を達成する為に論理的に組み立てる必要がある。
普通の人からするとそんな事をしなくても
ただ笑える話をするだけでいいのに、と感じてしまう。
この人は楽しませる為の能力が無い。つまりユーモアが無いのだ。
論理的思考が絶対的だと思い込んでいる人ほどこの傾向が強いと感じる。
それはそうだろう。論理的に人を楽しませる事は出来ないからだ。
感情と言うのは決まった論理で動く性質のモノでではない。
こうしたから面白い、こうしたからつまらないという性質のモノでは無い。
論理的に物事を考えても良いがそれらばかりに囚われていると
革新的なモノを生み出すことが出来ない。
革新的なモノは大抵、感覚が重要であるからだ。
自分がどう感じるのかを敏感に感じ取り、
それをイメージすることが重要だ。
それを論理的な表現にしたとたんに、
もうそれは革新的なモノではなくなる。
どう感じ、どうイメージするかが肝である。
何よりも雑談すらできない人間は、
死ぬ前に自分の一生を振り返った時に何を思うのだろうか。
自分の人生は論理的に正しかったとでも思うのだろうか。