欲望は持ってはいけないのか?
欲望を持ってはいけないのではない。
その欲望を向けられるのが、自分へなのか人へなのかが、
欲望を持ってよいかどうかの判断基準になる。
自分のための欲望を持つ事は、
自分のみが助かり、苦しむ人を見捨てることだからだ。
だから欲望の面でだけで言えば、
自分の為にお金を貯めることはしてはならない。
他人の為にお金を貯める事ことはよい。
自分の為に働くことはしてならない。
他人の為に働くことはしてよい。
確かに本能的に言えば人へ向けられる欲望よりも、
自分に向けられる欲望の方が強い。
自分への欲望のために働いた方が、利益や効率の面で上回るだろう。
だがそれによって淘汰されるのは弱いものだ。
それを救うのは今であれば国である。
新自由主義的な手法によって得られる平等は、
お金を稼ぐ能力のある人の中だけでの話であって、
能力の無い人に対しては無力である。
だから結局のところ、国による介在が必要になるのだ。
だが、新自由主義的な考えに染まった、教育されてきた人が大半の中で、
国の中枢にもそういう考えの人が殆どを占める事は想像に難くない。
そういう人が能力の無い人に対して支える政策を打ち出せるのか。
そういう人が蔓延る世の中で、この人たちを支える政策が支持されるのか。
もしかしたら、
無力な人々を破滅させる考えが誤っていることに気付くかもしれない。
多くの無力な人の犠牲によってそのことに気付くかもしれない。
だがそれは極めて可能性の低い賭けでしかない。
だとしたら、たとえ利益や効率の面で下回る欲望であっても、
そのような多くの犠牲を伴わずに、弱者を支える世界を
実現すること自体が欲望であれば、それを初めから是として
出発すればいいのではないか。
これも賭けでしかないが、新自由主義の可能性よりも遥かに高いと思う。