Cord Blood

母親と子は臍の緒を通じて一つの生であった。それだけ強い繋がりがあったはずなのに。

自己愛性人格障害

あなたの周りに自慢話をちょっとする人は居ないだろうか。
あるいは、ちょっと周りとは違和感を感じる人は居ないだろうか。
この「ちょっと」という感覚であれば、それは性格であり、
あまり問題にはならないだろう。
だが、世の中にはその「ちょっと」では済まされない
自己愛性人格障害という人がいる。
ここでは自己愛性人格障害の特徴と具体的内容を見てみたいと思う。

1. 自己の重要性に関する誇大な感覚。自分の業績や才能を誇張する。
自分の能力よりも遥かに超えた能力があることを周囲に印象付けようと
するところに多大なる努力を行う。周囲からしてみたら、
君にはそんな能力は無いよ。それよりももっと能力を高めたら?と思うのだが、
本人は愚直に自分の才能を誇張し続けるのである。
この根拠無き自慢話をされると、普通の人は何をそんなに頑張っているんだ?
という不思議でかつストレスの溜まる心理状態になる。

2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
本人に対して少しでも親しい関係になると、あの人は自分のことが好きなのではないか?
ということを周囲に言ってくる。親しい関係を持った人は、他の人と接するのと
同じように振る舞っただけなのに、本人からしてみると、あの人は私だけに
親しくしてくれていると本気で思ってしまうのである。
例えば、一度もあったことが無くてもメールで数回やりとりしただけで、
結婚寸前の状態にあると思ってしまうこともあるのである。

3. 自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人(権威的な機関)にしか理解されない、または関係があるべきだと信じている。
会社内では一番下っ端で、
しかもその下っ端の仕事ですら満足にできないのにも関わらず、
自分はもっと上の役割の仕事をするべきであるということを真剣に考えている。
地位の高い人の会議に呼ばれると上機嫌になり、
自分はこんなにも偉い人たちと同じ立場にいるのだ
ということをこれでもかと自慢してくるのである。

4. 過剰な賞賛を求める。
兎に角、自分のやったことは褒められなければならないと思っている。
褒められずに、成果物を見てもらえなかったりすると、
猛烈に怒りを露にし、退職することすら躊躇わない行動にでるのである。

5. 特権意識、つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
自分はこんなにも凄い人間なのだから、お前らは自分の意見に賛同していればいいのだ。
みたいな態度を常に取り続ける。
周りからしてみると、貴方の意見は意見として聞くが、
習性を知っている人からすると、もう有無を言わさず、
この人の意見は聞きたくもないということになる。

6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
自分の仕事を進めるために、自分より立場の弱い人をまるで奴隷のように数時間、
それも数週間に渡って毎日のように束縛する。
しかも、この人の仕事は大したことが無いものばかりだから、
束縛されている人にとっては、たまったものではない。

7. 共感の欠如。他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
自分しか見えていないから、相手がどう思おうが関係ない。
自分さえ満足できれば、人がどうなろうが関係ないのである。
よって、いくら束縛しても何とも思わないのだ。

8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
よく羨ましいということを口にする。
そして自分はその羨ましい人になれると本気で信じている。
もしくはもうなっていて、周りも自分が羨ましがっていたのと同じように、
自分のことを羨ましがっているのだと勘違いしている。

9. 尊大で傲慢な行動、または態度
自分がいかに偉くて凄い人間なのかを常にアピールしていなければならない。

などなど。挙げたらキリがないが特徴として重要なのは、
自分が重要で凄い何でも出来るスーパーマンであるということを、
周りに自己アピールし続けるということである。

リア充でも無いのに、リア充であるということをアピールしたり、
無能なのに、職場では無くてはならない存在であるとアピールしたり、
無知なのに、この分野は私にしか手がだせないのだとアピールし続けるのだ。

このような人格障害になってしまった原因は、
いじめる人と同じように、やはり親との不和が関係していることが殆どだ。
親が自分のことだけで精一杯の場合、
子供は自己を無条件で愛してくれる、認めてくれる存在が無かった。
自己を認めてくれる存在がないのだから、なんとかして、
その存在を作らなければならない。
そうして四苦八苦して得られた能力が、この自己アピールである。
自分はこんなにも凄いのだ。こんなにも優秀なのだ。
こんなにも有能なのだ。ということで周囲からの注目を浴び、
自己の存在を認められようとしたのだ。

だが、自己アピールというのは、たいていの人にとっては自慢というようにしか映らない。
通常の人は自慢は不愉快に感じる。
しかも自己愛性人格障害の人は、この自慢話が虚飾されているから、
なおのこと、不愉快、いや不信感、嫌悪感に繋がるのである。

では、自己愛性人格障害を抱えてしまった人は嫌われる運命にあるのかといえば、
答えはノーだ。

この人たちを救う人というのは、その人のやったこと、発言したことに対して、
それは間違っている臆すること無く言ってくれる人である。
決して、賛同してくれる人ではない。
周りとずれているということを、まじめに指摘してくれる人である。
そしてそれを真摯に受け止めるだけの自分の度胸である。
自己愛性人格障害のある人にとって、自分のことを指摘する人というのは、
万死に値するひとだと思うであろう。だが、そう思っている限り、
生涯苦しむことは目に見えている。
まずは、自分が間違っているのだ、周りが正しいのだということを、
心に刻むことが重要だ。心に刻み込むことができるか否かで、
その後の一生は天国にも地獄にもなる。