生きていると少しの楽しい事と多くの辛い事がある。
普通に生きている人は、楽しい事をする為に毎日頑張っている。
そしてそれがさも当たり前であるかの如く生活している。
だが、私にとって楽しい事と呼べる事柄に今までであった事が無い。
周りの人が楽しいと言っている事は大抵詰まらないし、
笑っていてもふとした瞬間に冷めいてしまう。
私にとって一番充実していると思える事は死を考える事である。
死んだら自分はどうなるのか。今後二度と自分という存在は現れないのか。
それは一体どういう事なのか。
そういう事を考えていると、何時の間にか時間が過ぎているのである。
通勤途中、周りを見回すと笑ながら雑談している人や、真剣に彼氏や彼女の話をしている人。
あるいは会社の不平不満を言っている人。
ツイッターやフェイスブックの内容を見てほくそ笑んでいる人。
こういう人たちを見る度に、結局、この人たちがこの瞬間に感じた事や、
その感情から生み出された将来のビジョンは結局、死んでしまうのだから、
何の意味も無いんだなと思ってしまう。
この人たちは死ぬ事を前提として生きていないから、こうやって楽しく過ごせるのだなと感じる。
会社で頑張って地位を上げる人。
見栄や名誉の為に自分を着飾る人。どうしてこういう人たちは、
どうせ死ぬのにこんな事に頑張れるのだろうか。
生きる事に意味なんて無いと私は思う。
普通の人は生まれてしまったのだから、生きているだけであろう。
生きている間に自分にとって楽しい事や生きがいを見つけるのだろう。
だが、生きる事に疑問を抱いてしまった人にとって、生きる事は辛過ぎるのだ。
だとすると自殺する事を考えざるを得ない。
生きるのか、死ぬのか。もはやこれは自分で選択するしかないのだ。
誰にもそれを強制することは出来ない。
明日死ぬかもしてないけど生きるのか。今すぐ死ぬのか。
それを考える事が今の私にとっての生きている意味である。